일본

[스크랩] 靖国神社와 千鳥ヶ淵戦没者墓苑

제봉산 2014. 1. 1. 19:47

 


靖国神社と千鳥ヶ淵戦没者墓苑

安部총리가 靖国神社참배로 외교적분쟁이 격화되고 있다. 문제가 무었일까?
靖国神社는 일본 태평양전쟁의 전법을 포함해서 명치유신이후의 전몰자를
기리는 묘원으로 태평양전쟁의 피해국에서는 동경 전범재판에서 처형된
전범까지 포함되어있어 말썽이다. 외국의 원수나 사절이 방문했을 때
예의상 그나라의 국립묘지를 방문해서 경의를 표하는 것은 국제관례이다.
우리 국립헌충원이나 미국의 알링턴묘지에 해당하는 묘원이 어디냐는 논쟁이다.  
 
그래서 일본을 방문하는 미국사절은 靖国神社대신 千鳥ヶ淵戦没者墓苑을 방문해서
경의를 표했다. 처형된 전범을 기리는 것은 군국 제국주의를 상징하기에
도저히 납득될 수가 없는 것이다. 특히 피해 당사국인 대한민국과  중국
그리고 동남아시아 국가들은 군국주의가 연상되어 납득할 수가 없는 것이다.
피해 당사국만이 아니라 세계의 양식있는 국가들과 지성들은 가해국인
일본의 태도를 나무라고 있다.
 
일본 야후 자료이니 참고하기 바란다.

   靖 国 神 社   千 鳥 ヶ 淵 
 戦 没 者 墓 苑
沿 革 明治 2年 東京招魂社として創立
明治12年 靖国神社と改名
明治20年 神職の任命権が内務省から陸海軍省へ移管
昭和34年 竣工
ご 祭 神 明治維新から日清・日露戦争以降
大東亜戦争にいたるまでのすべての戦没者。
台湾・朝鮮の戦没者 約5万柱を含む。
民間人の多くは含まれていない
厚生省による昭和28年からの遺骨収拾時に
氏名の判明したものは遺族に返還された。
それ以外の無名戦没者の方々の納骨堂
祭神者数 2466000余柱
9割は支那事変/大東亜戦争時の戦死者
34万柱
祭祀形式 神道形式
終戦後はGHQ政策により宗教法人となったが
本来は宗教を超越した国家護持とされるべきもの
特定の宗教形式ではない
国が管理している
備 考 都道府県ごとの護国神社が建立され(明治14年)
地域出身の戦没者を祀っているが、
実質的には靖国神社の地方分社とみなされる。
支那事変から大東亜戦争までの
無名戦没者 遺骨奉安所
平成13年 秋季例大祭は、香淳皇后の崩御による御服喪により
1年間御差遣のなかった勅旨が御祭文を奉され、
新たに20柱の神霊を合祀申し上げることができた
旨の報告が行われた。

また小泉総理が公約としていた8月15日の参拝が
2日前に行われたことは真に残念だが、今回限りで
止めることなく、毎年の継続と春秋例大祭への参拝
をお願いしたいとの談話を発表した。

遊就館の改修と新館建設工事は
明年の、みたままつり前に完工の予定である。

秋季慰霊祭は、三笠宮寛仁親王妃殿下のご臨席を仰ぎ
内閣総理大臣、厚生労働大臣、防衛庁長官らの各代理
竹河内統幕議長以下各幕僚長、各国駐在武官ら多数が
参列して厳粛盛大に執り行われた。

13時 三笠宮信子妃殿下が式場に御到着、陸上自衛隊
東部方面音楽隊の奏楽に迎えられて式典は開始された。
国家斉唱後、瀬島龍三墓苑奉仕会会長の挨拶の後
昭和天皇御製を奉誦、小泉総理大臣の追悼の辞を代読。

妃殿下の御拝礼の後に来賓の献花が行われ、陸海空
自衛隊代表部隊の参拝と音楽隊の慰霊演奏があり
焼香が行われ、14時すぎにつつがなく終了した。

 

출처 : 演好마을
글쓴이 : 설봉헌 원글보기
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